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『没後120年 ゴッホ展』国立新美術館 [美術鑑賞]

3連休は前後に地元の用事があったので、真ん中の10日に一日集中して遊んできました。

国立新美術館『ゴッホ展』→孫訪問→御茶ノ水ジャズ祭
濃い~ィ、一日です

ゴッホ展は絶対混雑するよな~、開場時間10時には着いていよう!
と思っていたのに、まさかの寝坊!
しかも、夫が岐阜に行ってくると言って、出掛けにバタバタしてたもんだから、つい私も出遅れてしまった。

国立新美術館に着いたのは10時40分。
中はすでに多くの人が・・ 
絵が好きな人、多いんだなぁ・・・。

没後120年 ゴッホ展 ~こうして私はゴッホになった~

ひまわりの絵で有名なフィンセント・ファン・ゴッホは、1853年にオランダの牧師の家庭に生まれ、子供の頃から性格は激しくて、人との付き合いは得意ではなかったようです。
絵は好きでしたが美術学校で学んだわけではなく、学校を出てからは美術商の伯父の会社で働いていました。

絵描きになると決めたのは27歳の時で、それからデッサンの勉強をしたり、義理の従兄弟の画家(アントン・モーブ)の指導を受けたり。初期の3年間はほとんど素描の練習でした。

働く農民の姿を描いたミレーに傾倒し、よく模写をしました。
amawokizamu.jpg
「亜麻を刻む農婦(ミレーによる)」
他にも「種まく人」「晩鐘」など、有名なミレー作品を描いています。

農民を描いた素描も数多く、ミレーのように、手に汗して働く農民の姿を描きたいと思っていたようです。





jagaimo.jpg
「じゃがいもを食べる人々」(リトグラフ)
貧しい農民の家族ですが、自分たちで育て収穫したじゃがいもを食べる姿から、働いて糧を得るたくましさが感じられます。

siroibosi.jpg「白い帽子を被った女の頭部」
(油彩)

当時、女性がよく被っていたこの白い帽子、とても気に入っていたらしいです。
帽子の白が際だって、キリリとよく働きそうな女性に見えます。

画家を目指してからの生活は厳しく、家族の中で唯一の理解者である弟のテオの仕送りで生活していました。ゴッホはテオに、100年経っても、まるで生きて話しかけてくるような人物画を描きたいと言っていたそうです。テオはそんなゴッホの才能を認めて、惜しまず援助していました。

1886年にパリに移住して、画塾に通って学びます。
yugurenomatunoki.jpg印象派の画家たちと出会って色が明るくなったり、日本の浮世絵版画の強烈な色彩、大胆な構図、奇妙なトリミングなどにも影響を受けました。

「夕暮れの松の木」
(油彩)
浮世絵によく見る構図です。




marumeroremon.jpg「マルメロ、レモン、梨、葡萄」
(油彩)
額装したあとに画面に合わせて額を黄色く塗ってしまいました。よく見ると額らしい模様も描いています。


1888年にアルルに移住。
黄色い家を借りて、画家たちの楽園をめざします。印象派の多くの画家に声をかけますが、来たのはポール・ゴーギャンだけでした。

gogyanisu.jpg「ゴーギャンの椅子」
(油彩)
ゴッホはゴーギャンとの生活が嬉しくて、彼にはりっぱな椅子を用意しました。
椅子の上にゴーギャン愛用の道具を置いて描いています。ゴーギャンの椅子や小物を愛しく思うゴッホの気持ちが伝わってきます。




arurunosinsitu.jpg
「アルルの寝室」
(油彩)
展示は、この絵を基にして作った実物大のゴッホの寝室が再現してあります。
物が少なくシンプルな生活のようでした。

ゴーギャンは南の島をよく描いていました。実物を見て描くよりも空想で描く画家です。現実の見た物を表現するゴッホとは意見がくい違い、よくぶつかったようです。

ある時ゴーギャンに、描いている自画像の耳がおかしいと言われ、自分の左耳の一部を切り取ってしまいました。

この事件で、ゴーギャンとの生活は2ヶ月間という短さで終わってしまい、ゴッホは精神を病んでサン・レミの療養院に入ります。

sanremi.jpg 「サン・レミの療養院の庭」
(油彩)
とても穏やかな風景にみえます。
療養院の庭で腰かけてスケッチしているファン・ゴッホの姿が見えるような気がします。
どの絵も好きですが、私はなぜかこの絵が一番好きです。





ゴッホ_0014.jpg「アイリス」
(油彩)
晩年、1890年の作品。

退色して今は花の色が青になっていますが、当時は紫だったそうです。
背景の黄色と反対色の紫、元気に咲いている花としおれかかっている花、花の曲線と葉っぱの直線、相対するものを描いて、喜びと悲しみ、生と死、心の表と裏・・などを描きたかったのでしょうか。

ファンゴッホは1890年にピストル自殺をはかって生涯を終えたと言われています。
たった10年の画家生活でした。
作品数は、油彩900点素描1100点とか・・。単純に計算しても4日に1点の油彩画と3日に1点の素描画を描いたということになります。ものすごい集中力の持ち主です。

ファンゴッホに対して、今まで激しくて狂気で恐い画家というイメージでしたが、思い違いをしていたと思いました。本当は純粋で、絵が好きで、対象に対して真摯に向き合い一生懸命表現している・・。じっくり見ると、作風はとても丁寧です。
今は亡き私の恩師(水彩画)やエレカシの宮本浩次に通じるものがあるように思えます。だから惹かれるのかもしれません。

いろいろな美術展に行きましたが、今までで一番感動したように思います。
今こうして思い出しても胸が熱くなります。
会期中にもう一度行きたくなりました。
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